図書館カフェでスモーブローを君といっしょに食べたかった
スモーブローを初めて食べたのは、図書館のカフェだった。
そこは、カフェめぐりが共通の趣味で知り合った彼とのはじめての小旅行で訪れたところだった。
北欧スタイルのオープンサンド、スモーブロー。北欧のサンドイッチでよく見られるのがオープンサンドタイプだと知ったのは、子どもの頃に読んだムーミンやピッピなどの北欧の児童文学からだった。
スモーブローを食べられるカフェが大阪にオープンとの情報を知り、露美は、迷わず旅のプランにそこを加えた。 インテリア雑貨などで注目されるようになって、今ではライフスタイルの定番の一つにもなりつつある北欧スタイル。ただ、食に関しては、まだ体験できる場所はそう多くなかった。
露美は、京都のブックカフェめぐりの後に、そのカフェへ寄りたいと彼に告げた。 就職して資金をためて、いずれカフェを開きたいと思っている露美は、流行中のものから流行の兆しのあるものまで気になるカフェがあれば、旅先でも足を運びたかったのだ。
図書館にあるカフェというのも魅力的だったが、そのカフェのある図書館自体も魅力的だった。以前関西の友人に見せてもらったその図書館のある場所大阪中之島のライフスタイルマガジンの特集記事を見て露美は興味を持ったのだった。
――橋を渡る人の「街事情」マガジン―—そう冠された『月刊島民 vol.82』の特集記事「中之島図書館はすごかった。」には、歴史、建築、書庫、本と人というテーマで、大阪市立中之島図書館の「すごさ」について紹介されていた。露美はナカノシマ大学のホームページからその号のPDFをプリントして持参していた。携帯機器で呼び出せばすぐに情報を手にできるが、なぜか紙媒体で持っていたかったのだ。
旅行の最終日の午後は、別行動にしようとの露美の提案に、彼も同意してくれた。 彼は、古書店を見てまわるからと、ひと足先に大阪へ出て阪急古書のまちへ、雑貨も扱っているというカフェをいくつか見ておきたかった露美は、地下鉄とバスと徒歩を駆使して、京都市内をまわった。
うまい具合に特急に乗ることができて、京阪淀屋橋駅で降りて地上へ出ると、露美は地図を確認してから、堂島川と土佐堀川にはさまれた中之島へ渡り、川沿いのみおつくしプロムナードを進んでいった。 途中、市役所のある通りへと左に折れると、右手に優美なルネッサンス様式の建築が現れた。 明治時代に開館し、国の重要文化財にも指定されている厳かな知の神殿、大阪府立中之島図書館。
待ち合わせの場所だ。
「ごめん、待った」
正面玄関の階段に腰掛けている彼の元へ、露美は駆け寄った。
「ギリシア神殿みたい。この柱、すごいね」
露美は、正面玄関にすくっと伸びて並んでいる柱を見上げて驚いた。
「コリント式列柱だって」
待ったとも、こっちも今来たとことも言わずに、彼は携帯をいじって情報を呼び出している。 露美は、いったん正面玄関から離れて、道をはさんだ市役所の方へさがると、建物の全体像を写した。
黄昏時の図書館の窓に灯る明かりは、正しく人の道を照らす知の宝庫の雰囲気を漂わせている。
「近代レトロ建築遺産だね。ここでだったら、読書も勉強もはかどりそう」
露美は写真を撮りながら、スマートでモダンなつくりのカフェもいいけれど、古い建物をリノベーションしたカフェも、雰囲気があって素敵かもしれないと思った。
ひとしきり写真を撮り終えると、二人は、ギリシア神殿を思わせる正面玄関から中へ入り、教会を思わせるドーム状の天蓋が荘厳な中央ホール、そこに据えられた世界の賢人たちの彫像、バロック様式の館内を見学しライブラリーショップをのぞいてからスモーブロー専門店が運営するライブラリーカフェへと向かった。
モーニングやランチは混むけれど、夕方からはゆったりできるという事前情報の通り、店内には小人数のグループとが一組入っているだけだった。 グループの話し声は軽やかな小声の関西弁で、店内が静まり返ってないところが、居心地よさそうだった。
川面に映る灯が美しい窓際の席に上着と荷物を置くと、二人は、店の奥のサイドボードに置かれたデトックスウォーターのタンクへ向かった。
途中、彩り鮮やかで繊細な小ぶりのスモーブローのスターターが並ぶショーケースに目を奪われたが、まずは空気の乾燥でからからののどを潤すのに、フレッシュな野菜やフルーツが漬けこまれているデトックスウォーターが欲しいと露美は思った。
からだの中からきれいにするというコンセプトが受けたのか、季節のフルーツに野菜、フレッシュな香りのハーブやスパイスなどがブレンドされたビューティードリンクとして、デトックスウォーターは瞬く間に女性に大人気となった。 一方で、ジャーの衛生管理が気になるという声もあがり、定番メニューにするには一般のカフェでは難しそうではあった。 それでも、水の中のカラフルなフルーツや野菜たちは、見ているだけでリラックスできる、
心のエナジードリンクだと露美は思う。 レトロな空間に、スマートな知性の感じられる北欧の食の文化。 古いにしえからの積み重ねと、流行を捉える今この時とのコラボレーション。図書館とはどういう場所なのか、改めて考えさせてくれると、露美は感心した。
「ピーマン入りの水は、おれはパス」
と、唐突に場の空気がさざ波だった。
「ピーマンじゃない、パプリカだよ」
露美は答えながら、タンクから二人分のデトックスウォーターを注いだ。
「赤いピーマン、黄色いピーマン」
とりあえず席についたものの、彼はグラスに口をつけずにぶつぶつ言っている。
「試しにひと口飲んでみたら、からだにいいよ」
一人暮らしの学生が陥りがちな野菜不足の食生活の乱れを心配してることをにおわせて、露美はすすめてみた。 仕方ないなという素振りで、彼は、グラスを手にして口元にもっていった。
「ピーマンのにおいがする。却下」
彼は飲まずにグラスを置いてしまった。
「野菜って、もさもさしてるじゃん、なんか苦手でさ。野菜ジュースも青くさいし、あ、これもね」
「じゃあ、スムージーはどうかな。ブレンド次第で、野菜ジュースよりは飲みやすくなるよ」
「めんどいのはパス。それから、手作りもなんか味が一定しないからパス。肉がいいな、ここ肉あるかな」
家政学部で栄養学を専攻している露美は、食へのこだわりがつい出てしまう。それに、両親も弟も味覚の幅が広いので、他人の食べ物の好き嫌いについては驚くことが多かった。ここで言い合っても不毛かもと、露美は、一気にグラスを飲み干して
「ちょっとショーケース見てくるね」
と、グラスを遠ざけ携帯で何やら検索を始めた彼に告げて、メニュー代わりに品物の並ぶショーケースへ歩いていった。
ショーケースには、スターターと呼ばれる小ぶりのスモーブローが並んでいた。
「最初は、魚、デンマークではニシンから、だったっけ」
下調べした記憶を辿りながら、露美は一品ずつ視線を移していく。
「黒パンにニシンの酢漬けにはチャイブを散らして、サーモンムースにはディル。ウナギの燻製にはスクランブルエッグを合わせるから、ここにもタマゴと合うハーブチャイブかな。それともビネガーに漬けたチャイブの紫の花びらをアクセントにしようかな」
並んでいるスモーブローの味をイメージしながら、将来のカフェコンセプトを北欧風にした場合のメニュー用に、素材の組み合わせの基本を頭に入れる。
「やんわりと個性を主張するタラゴンは、クリーミーなソースにも負けないから、タルタルソースに混ぜてチキンに合わせようかな。フィーヌムゼルブのオムレツは、小さなピンクのゆでた小エビの上にのせて、チャービルを飾ろう。ムースやチーズ用にLP盤のような丸くて固いパンのクネッケも用意しないとね」
ここのメニューそのままというわけにはいかないので、アレンジを加えてオリジナルメニューを想像する。 味のイメージを展開させるのを、露美は楽しんだ。
「甘いのもメニューに加えたいな。北欧にこだわるなら、ベリーを揃えないと。ラズベリー、ブルーベリー、クランベリー、リンゴンベリーにクラウドベリー。日本では入手しずらいのもあるけれど、ベリー農家さんを当たってみよう。たっぷりのホイップクリームに、森の摘みたてクランベリーの赤を散らしたら、雪に咲いた花畑のようにきれい」
次から次へと浮かぶイメージは、露美の心を浮き立たせる。
「カフェで扱うドリンクは、市販のハーブコーディアルを炭酸水や水で割ってもいいけれど、ここはフレッシュハーブの勢いを取りたい。ディルは北欧料理には欠かせないから、小さくてもいいからハーブガーデンを作ろう。となると、やっぱり、ハーブガーデンが必要になる」
露美は、ちょっと考え込む。
「カフェの運営と畑仕事、両立できるだろうか、きびしいかもしれない。人手がいるな。信頼できる人。ああ、そうだ、デトックスウォーターは、どうしよう」
さっきの彼とのやりとりが、俄かに苦い思いとなってよみがえってきた。
彼とつき合い出して初めの頃は、好き嫌いの多い彼の味覚を攻略するのが楽しかった。 彼も、最初は面白がっていた。 つきあい初めはお互いに歩み寄ってるから、気にならないのだ、いろいろと。 そういえば、こんなこともあった。 彼はタケノコごはんにのってる山椒の葉を、器用に箸でつまんで、露美によこす。香味野菜が苦手なのかと思いきや、ガーリック風味は大好き。和食の小鉢の菊の花を見て 「食べるものじゃないだろ、花は見るものだろ」 と箸をつけない。花といえば、菜の花のおひたしも残していた。「花とか、食べられないもん使うなよ、なんだよ、このねぎ坊主みたいなの」 「残念でした、チャイブの花は食べられるの。ズッキーニの花だってフリッターにしたら美味しいの」 「フリッター? 天ぷらだろ。岩塩ふったら、まあまあ食べられるな」 カフェ巡りではあやしげな路地裏にまで冒険するのに、食には意外に保守的な彼との、そんなやりとりも楽しかったけれど、いつしかそれがエスカレートして、いつのまにか、露美は、彼の味覚を支配しようとしていたのかもしれない。それでは、敬遠したくもなる。
と、思いを巡らす露美の目に飛び込んできたのは、一風変わったネーミングのスモーブロー。
――獣医の夜食――
ビーフハムに、レバーパテ に、コンソメのジュレ。ちょっと猟奇なジョークのようだ。申しわけ程度に飾られた輪切りのレッドオニオンとスプラウトは、肉の存在感を演出している。
「肉、だね」
露美はそうつぶやくと、ショーケースのディスプレイを記憶して、席にもどった。席にもどると、彼のグラスが空になっていた。
「ピーマン、飲めるようになった」
あっさりとした口ぶりで言うと、彼は、二人分のグラスを持って立ち上がった。
「おかわりは、ピーマンじゃない方でいいよな」
パプリカだけど……と言いかけて、露美はこらえた。
「あのね、獣医の夜食っていうのがあるんだけど」
「獣医の夜食……それ、食えるの」
「燻製器を買ったから、うちでスモークレバーを作ってパテを作れば、木くずの香りが良い風味になって臭みを消してくれると思う。ビーフハムはあまり市販されていないからパストラミビーフを代用して、コンソメのジュレはビーフコンソメから作ることにして。肉+肉+肉のスモーブロー。どう、食べてみたい?」
露美のいつもの一方的な説明に、彼は呆れたような顔で立っている。
我に返って、露美は、慌てて両手を口に当てた。
――ああ、また、はりきりすぎてしまった。めんどいって思われちゃった――
露美が落ち込みしょげかえりそうになった時だった。
「じゃあ、肉よろしく。楽しみにしてる」
彼は笑うと、両手に持ったグラスをカチンと合わせて、笑ってみせた。それからさっと歩み去っていった。そうだった。こじれかけた時は、いつだって、彼から歩み寄ってくれたのだった。
――信頼できる人手は、案外そばにいるのかも――
露美は、まぶたに刻み込んだ彼の笑顔にうなずいた。
参考文献
『北欧 食べる、つくる、かわいいと暮らす』 三田陽子著 辰巳出版 2015年4月1日
『コーヒーとパン好きのための北欧ガイド 改訂版』 森百合子著 スペースシャワーブックス 2016年4月25日
『月刊島民 vol.82』 江弘毅(編集集団140B)・月刊島民プレス編 月刊島民プレス 2015年5月1日
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