「先輩、凪田(なぎた)先輩」
かけられた声に振り向くと、大学時代の文芸サークルの後輩貝原沙羅(かいばらさら)が、ミュージアムショップの袋と、丸めたポスターを抱えて立っていた。
世田谷文学館のゆったりとしたエントランスホールで、所在なげにうろついていた私を、彼女の声はなつかしさで捉えた。
「お久しぶりです。夏原ノエ先生の講演会の時は、ご来場いただいてありがとうございました。お礼もそこそこになってしまっていて、申しわけございませんでした」
親しみのこめられた礼儀正しさ。
私はどう答えたらよいのか迷い、それから、
「行きたくて行ったんだから、そんな風に言ってもらわなくても」
と、無難に受け答えた。
「なら、よかったです」
貝原沙羅は、にこっとすると話しだした。
「これ、今回の展覧会のポスター、もらっちゃいました。図書館で掲示しようと思って。受付の人に話したら、そういう目的でしたらどうぞって。もともと図録を買った人に差し上げてたんだそうです。当初の配布分が終了したんで、そういった掲示がされてなくて。前にもそういうことがあったんで、きいてみたんです。あ、でも、ちゃんと図録も買ったんですよ」
貝原沙羅は、ミュージアムショップの袋を掲げてみせた。
「先輩は、今来たとこですか」
「ん、ちょっと気分転換」
「締切、たいへんですか」
「まあ、そんなとこ」
「プレコンテストの作品集、読みましたよ。ぺリメニの話、美味しそうでしたね」
「え、そこ」
「はい、そこ、です」
私は、拍子抜けして、彼女を見つめる。
「そういえば、『放浪記』の林芙美子も、ぺリメニ多分食べますよね。彼女、勢いと情熱の人だったから、シベリア鉄道に乗って道ならぬ恋を追いかけてパリまで行ったんですよね。旅行記があるんですよ、先輩読みました? 昭和のはじめ頃に、たった一人で、ほとんどお金も持たないで、列車に飛び乗って恋しい人のところに向かったなんて。しかも若気の至りって年頃じゃなかったんですよね。すごいな。希望の灯が、ほのかにでも見えたからって、ひょいっと現実生活から恋愛夢想世界に飛び移ってしまったんですもんね」
のんびりとした口調で、彼女は、間断なくしゃべり続けている。
学生時代に較べると、ずいぶん語彙が増えたように思う。
語彙が増えたというか、身について使いこなせるようになったのだなと訂正する。
文学部で文芸サークルだというのに、入りたての学生たちは、使いこなせる言葉が決まりきっていた。
受験勉強で身につけた言葉は、小論文用の書く言葉で、自分の言葉ですらなかった。
それに気がついたら、大学四年間でその言葉のくせを、いったん書く言葉の貯蔵庫にしまっておいて、語る用、創作用の言葉を修得していく。
それが、彼女は、うまくいったのかもしれない。
かくいう私も、読書と趣味の創作で培った頭でっかちな言葉つかいだったけれど。
「林芙美子が、ぺリメニを食べたなんてこと書いてあったかな」
「はっきりとは書いてありませんけど、『下駄で歩いた巴里』の西比利亜の旅のくだりに、それらしきこと書いてありましたよ」
「岩波文庫だったかな、確か」
私は、読書記憶のページをくって、そのくだりを見つけ出す。
「西比利亜の寒さは何か情熱的ではあります。」と記し、シベリア鉄道を一人行く作家は、持参した食料に飽きると(長旅なので自分で調達した食料を持ち込んでの列車の旅)、食堂車で食べたり、売りにきたものを買い食いします。
その中に、たびたび登場する「ウドン粉」料理。
「まず、運ばれた皿の上を見ますと、初めがスープ、それからオムレツ(肉なし)、ウドン粉料理(すいとんの一種)、プリン……」
すいとんの一種という言葉からイメージできるのは、シベリア風ゆでだんごとロシア料理の本で紹介されていたぺリメニ。どちらかといえば、すいとんというより、水餃子のイメージが形としては近い。
「二箇一ルーブルで買って、肉の刻んだのでもはいっているだろうと、熱い奴にかじりつくと、これはまたウドン粉の天麩羅でありました。」
これは、ラム肉でも入っていれば中央アジアの郷土料理チェブレキだろうけれど。もしくは、具無しピロシキ? そういえば、揚げぺリメニというのもラトビアだったかにあるらしい。
「スープ(大根のようなのに人参を少し)、それにうどん粉の酢っぱいのや、(すいとんに酢をかけたようなもの)、蕎麦の実に鶏の骨少し、そんなものでした。」
今度のはひらながでうどん粉、そして、酸っぱいとあるのは、中身が塩揉みの乳酸発酵で作るロシア風ザワークラウトのカプースタだからか、それとも、すかんぽ入りの酸味のあるスープでゆでられたからだろうか。
気になるけれど、それ以上の情報は読み取れない。
だいたい、小麦粉でなくてうどん粉というのが、昭和初期を思わせて、実際には知らない時代なのに、なつかしさを覚える。実際は、うどん粉は、薄力粉、中力粉、強力粉と分類される小麦粉の中では、中力粉に当たる。グルテンの含有量で分類されるのだが、うどんのこしとぷるんとした弾力がほどよく生まれるのが中力粉なのだ。水餃子を思わせるぺリメニには、確かに、中力粉のうどん粉がふさわしい。
「凪田先輩、今の暗誦、泊先輩みたいでしたね」
私は、どきりとする。
無意識のうちに記憶していた文章を口にしていたのだ。
それも、泊愛久(とまりめぐ)がしているように、没入して。
「しゃべりながらだと、思い出しやすいから」
私は、これが記憶探索の自分のスタイルだと言いわけがましく言うと、入場チケットを持ったままの手で、前髪をかきあげた。
「あ、すみません、もしかして、凪田先輩、これから見るんですか」
「そう。でも、先にお茶してからって思ってた」
執筆の合間の気晴らしに一人でお茶するのがパターンだったが、たまには誰かと話すのもいいかもしれない。
「じゃ、ミュージアムカフェ行きましょ」
貝原沙羅に言われるまま、エントランスホールを抜けて光の射し込むパティオの向こうにあるミュージアムカフェへ。
パティオの見える席に座って、ゴジラのいるカフェで二人揃ってケーキセットをたのんだ。
「あれって、着ぐるみだったよね」
「はい、東宝の砧スタジオゆかりみたいですよ」
「ここは文学館だけど、展示物を見ると、美術館や博物館っぽいとこあるのが、いいな」
「そうですよね。うちの図書館でも、本だけじゃなくて、テーマコーナーを作る時は、作家の愛用品や、関連文学マップを作って、展示してますよ」
「うちの」図書館か。
職場に愛着があるのだなと思う。
「さすがにグッズの販売はしてないんでしょ」
「そうですね、マップは無料配布です」
おしゃべりをしているうちに、注文の品が運ばれてきた。紅茶とチーズケーキ。彼女とのおしゃべりには、コーヒーより紅茶が合う。ティーカップにやわらかな陽射し。やわらかなチーズケーキは、さっぱりとおいしい。
「今、図書館の本を使って外国の料理を作ろうっていうイベントを計画してるんです」
「それ、面白そう」
「夏休みに絵本でおやつ、っていうのをやったら大好評で。未就学児向け企画で保護者と子どもでって募集したんですけど、両親だけでなく、おじーちゃん、おばーちゃんも一緒に参加したいって声が多くて」
「私も保護者枠で参加したかったな」
「え、先輩、まさかお子さん」
「違う違うって、保護者枠って言ってるでしょ、親子枠じゃなくって」
「そうですよね、あー、びっくりした」
彼女はカールさせた睫毛をしばたたかせた。
「食べる企画って、皆さん、興味持ってくださるんですよね」
「そりゃあ、グルメの話題は、老若男女共通の興味のまとだもの。で、今度も子ども向け企画? 」「いえ、今度は、大人向け、というか、文豪料理って、今、カフェやイベントであるじゃないですか。その路線で、近代文学作品からって考えてます。凪田先輩の小説を読んで、これだ、って確信したんです」
自分の小説を読んで発想してくれたんだと思うと、照れくさかった。
「図書館で料理できるの」
「はい、今のとこは、複合施設に入ってるんですよ。地域住民が交流したり、講座を開いたり、カルチャースクールとまではいかなんですが講習会をしたり、映画上映会のできる設備もあるんですよ」
熱心な口調の彼女は、学生時代の冗長なしゃべり方ではなくなっている。
仕事に誇りをもっているのかな、と思い、微笑ましくなる。
貝原沙羅の勤めている図書館は、複合施設の二階にある。
二階フロアの全てが図書館で、地下に駐車場と駐輪場、一階は商業スペース、三階に会議室や多目的ルーム、四階にソファとテーブルなどの置かれた共有スペースと、カフェテリア、そして、ガーデンテラスがあり、五階以上が住居スペースになってるのだという。
カフェテリアには軽食があり、ランチプレートがおすすめだそうだ。ランチプレートは日替わりで、一階に入っているパン屋の焼きたてパンか米屋の塩むすびが選べるのだそうだ。
「ランチプレート、おいしそう、今度食べに行こうかな」
「ぜひ、ランチデートしましょう」
彼女は屈託なく笑う。
私は、カフェテリアの画面から、フロアガイドにもどると、同じ階に書店があるのを見つけた。「一階に本屋さんが入ってるんだ」
「大きな図書館と同じ建物内だと、書店の売り上げが減ったりするのではと思われがちなんですけど、うちに関しては、そうでもないみたいなんです」
「そうなの」
「はい、店長さんとは個人的に顔見知りで、というか、場所が便利なんで仕事帰りにほぼ毎日寄ってて、雑誌や文庫本をよく買ってるんです」
「そっか。通勤経路に本屋さんがあると便利だよね」
「はい」
彼女はにっこりすると、話を続けた。
図書館が入ってから、むしろ売り上げは増えたのだそうだ。
もともと駅に近いということもあり、通勤客、通学客など地元民の利用者がメインだったが、設備の整った図書館ができたということで、施設そのものへの地区外からの利用者が増えた。
そして、休日のショッピングや外食のついでに図書館に寄って、貸出期限のきた本を返すついでに、同じ本を書店に立ち寄って購入したり、図書館にはあまり置かれていない雑誌やコミック類、ライトノベル類を購入していったりするのだそうだ。
「とにかく、人の出入りがないことには、あらゆる販売業はなりたたないですよね」
「確かに。人に出入りしてもらって、興味をもってもらって、手にとってもらって」
「そうなんです。隙間産業とか、ニッチとか、個性を売りものにするのも大事ですけど、それを買ってくれる人がいないと、だめなんですよね。趣味ならともかく」
「かといって、自分の個性や技術を安売りするのは、結局その業界全体を安売りすることにつながるから、うーん、一概には言えないと思う」
「わあ、ほんと、そうなんです。今さらって感じですけど、自分がその立場にたってみると、実感します」
「え、図書館は販売業じゃないのに、実感って? 」
「ああ、え、と、イベントの集客のことです。販売ではなくって、営業、ですね。うまく説明できなくて、すみません。なんとなくつながってる感じがして」
彼女は、ふうっ、とため息をつくと、チーズケーキを大きく一切れカットすると、頬張った。
今、彼女の口の中は、さわやかで甘いレアチーズケーキでいっぱいだ。
甘くておいしいもので、口の中がいっぱい。
小さな癒しのひと時。
「適正価格、だいじかも。その人の技術や、技能に敬意を払う気持ちがあれば、滅茶苦茶な給与体系や、使い捨てみたいな働き方をさせたりしないはずだもの」
「そうなんですけど、その適正っていうのが、判断する人によって違ってくると、問題が起るんですよね」
「確かにね。理想と現実の乖離がはなはだしいのが、図書館業界ってこと」
「残念ながら」
貝原沙羅は、ため息をついた。
「私は、公務員として勤務してて、そこからの出向なので、安定はしてるんです。こんなこと、現場では申しわけなくて言えないんですけど、就職活動の時は図書館にはエントリーしなかったんです。司書の資格はとってたんです。でも、募集してる所がほとんどなくて。それで、役所勤務をしながら、ボランティアで本のことに関われたらくらいに思ってて。そうしたら運よく図書館部署に配属されて、司書の資格を持ってたんで、かなりしっかり関わらせてもらえることになって」
「そうだったんだ」
「はい、そうだったんです」
「図書館の司書の正規雇用って、ほんとに少ないよね」
「もう、どこを見ても、数えるほどなんですよぉ」
胸に溜めていたことを話して解放できたからか、貝原沙羅の口調が以前に戻った。
学生時代は、むずがゆいようなじれったいような気がしていたが、くつろいだ気分が伝わってきて、今はそれも悪くなかった。
「同じ職場で同じ職種で同じように働いているのに、受け取れるものが違うのって、何かにつけて気をつかうよね、お互いに」
「そう、そうなんです、お互いに、なんです」
彼女は、肩をすくめて、グラスに注がれたレモン風味の水を口に含んだ。
「それでですね、先輩、きいてください」
それから彼女は、堰を切ったように話し出した。
図書館の運営方法や司書の勤務形態が問題になっているのは、webニュース等で目にして知っていた。 同じ所で働くのに業務形態が違うというのでは、それはスムーズにはいかないだろう。 よほど有能な采配をふるえる上司がいない限り。
もちろん、公立図書館で雇用条件がきっちりしていて、市区町村の直接雇用であれば、正規、常勤、非常勤、パートタイム、アルバイト、多様な働き方はむしろ働く側からも望まれる場合もあるだろう。けれど、そこに指定管理会社や業務委託会社などが入ると、身動きがとれなくなりがちなのだ。
システムとして整備され調えられていればいいのかもしれないが、それでも、何かをするのに直接雇用先にではなく会社にきいて会社から雇用先にいってもどってを繰り返すというのは、とうてい合理的とは言いがたい。時間の無駄だ。さらに、現場責任者の権限が請負会社によってまちまちだと、それも混乱を招く。
現場の細かなそうした問題の積み重なりが、ストレスを呼ぶ。 単純なことを複雑にすることで、やる気を削ぐようにしているようにしか思えない。そうするのは、責任の所在の曖昧さのためだというのが透けてみえるのも腹立たしい。
「あ、すみません、こんな話、愚痴ですね、先輩、息抜きに来たのに」
「そんなことない。こんなにたくさん話したのって、初めてだよね」
むしろ、うれしかった。後輩の意外な面をみたような気がして。ふわふわと、楽しいことだけを摘まんでやっているのかと思っていたら、そうでもなく、思いの外熱心に取り組んでいるのがわかって。
ティータイムを終えて、貝原沙羅と別れた後、館内を一回りしてから帰路についた。
リアルの人間と話すと、なぜだかすっきりする。
今日のように相手の話をきくというのは、思いのほか視野が開ける。
おしゃべりは、自然に酸素をからだの中に取り入れることだ。
話の内容で気持ちは落ちたり上がったりどんよりしたりそれぞれだが、口を動かして言葉を発するということは、酸素を吸って二酸化炭素を吐くことなので、空気の循環が脳で起きるから、すっきりするのかな、と思ったり。
酸素が脳を巡って、濁った思考回路を洗ってくれるのかもしれない。
それで、頭がすっきりする。
人間の機能がそんなに単純なものではないことはわかっている。
それでも、そんな風に思ってしまう。
もしくは、口から出た言葉が空気中に散らばって、頭の中でいっぱいになって溢れかえりそうになっていた文字情報が、整理されるからなのかもしれない。
なんだか怪しげな科学現象のような気もする。
それでもすっきりした気分になるのだから、馬鹿高い料金がかかるわけでもないので、許容範囲のプラセボかな、と、微苦笑する。
ただし、あまりに不快な内容の話だと、気持ちの重さに負けてしまって、すっきり感が全て台無しになることもある。
執筆は孤独な作業だ。とくに、確約のないそれは。確約のない作業に根を詰め過ぎると、精神こころが蝕まれていく。 兼業作家でいると、自分の生活は保証される。 けれど、その保証が、自分の甘さにもつながっている。 わかっているのに、踏ん切りがつかない途上の自分に歯噛みする日々。そんな日々の連続では疲弊する。
「あなたの担当ではないから、あまり期待してもらうわけにはいかないけど、学友としてだったら話はきくから、何でも言ってよ、そう、ゼミの時みたいに」
ゼミ友で今は編集者の井間辺和子いまべわこの言葉がよぎる。
表だっては牽制しているようでいて、実際はその時の最善のフォローの言葉をかけてくれる。
その時の私は、まだ、意を決する途上だったこともあり、具体的な言葉を欲していた。
それが、どんなにか世間知らずでわがままなことだったのか……
今なら、それがわかる。
井間辺和子の真っ当な気遣いと友情。
本当に、素直に感謝できる。
「たまには、手料理でも差し入れしようかな」
いつも忙しそうにしている彼女に、ささやかなお礼の気持ちを表明したくなった。
つい外食や中食が多くなって、胃も舌も悲鳴をあげていると言っていた。
自宅住まいで冷蔵庫の食材というベースが、私には揃っている。
そうだ、貝原沙羅が言っていたシベリアのウドン粉料理を作ってみよう。
それから、井間辺和子に連絡して、休日にケータリングでご馳走すると言おう。そして、突拍子のなさに呆れられてもらおう。 それから、彼女に、少し笑って「わかった、で、何時頃?」と、訊き返してもらおう。
空はいつしか、茜色の夕闇から群青の宵闇に。
時はうつろう。
立ち止まろうが、足掻こうが。
紅茶と木イチゴのジャムとぺリメニのケータリング。
休日は、画面と向き合うのをやめて、友と言葉を交わし食事をする。
その時間は、ただのうつろいでは、きっと、ないのだ。
了
<本作の主な登場人物>
凪田 真帆子(なぎた まほこ) 「私」。旧友との再会をきっかけに小説家志望の夢が再燃。
貝原 沙羅(かいばら さら) 「私」の大学時代のサークルの後輩。現在公立図書館に出向中。
<本編はコチラ ↓ からご覧いただけます>
『サルビアとガーデニア 小説家志望の彼女と私』(第5回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作品)