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文学フリマ東京37に参加します。

ブースNO.など詳細は順次お知らせします。


文学フリマ東京37公式サイト

開催日:2023年11月11日土曜日 12:00~17:00

会場:東京流通センター第一展示場・第二展示場

出店名:Miacis Books(ミアキスブックス)

作家名:アイダミホコ

カテゴリ:評論・研究|ファンタジー・幻想文学・怪奇文学

紹介文:香りと文学をテーマにした読書案内とエッセイの本、歴史文学散歩や街歩きの本、童話作家安房直子さんの作品の再現料理本で参加します。

香りと文学公式サイト

参加予定作品

『香りと文学の世界 物語を香りで楽しむ においで味わう』

「季節のまち歩き手帖」シリーズ(自由学園明日館・鎌倉文学館・旧古河庭園・軽井沢高原文庫・以下続刊)※各施設に許諾を得て製作しております。

「お江戸花暦香り散歩」シリーズ

「奥越もの」シリーズ

「物語の食卓」シリーズ

『Bizarre Plants Books 植物を楽しむ本』

著書『アイダミホコのはじめてのヘンプ フェアトレード素材でつくるかわいいアクセサリー』(合同出版株式会社刊)

 スモーブローを初めて食べたのは、図書館のカフェだった。 

 そこは、カフェめぐりが共通の趣味で知り合った彼とのはじめての小旅行で訪れたところだった。

 北欧スタイルのオープンサンド、スモーブロー。北欧のサンドイッチでよく見られるのがオープンサンドタイプだと知ったのは、子どもの頃に読んだムーミンやピッピなどの北欧の児童文学からだった。

 スモーブローを食べられるカフェが大阪にオープンとの情報を知り、露美は、迷わず旅のプランにそこを加えた。 インテリア雑貨などで注目されるようになって、今ではライフスタイルの定番の一つにもなりつつある北欧スタイル。ただ、食に関しては、まだ体験できる場所はそう多くなかった。 

 露美は、京都のブックカフェめぐりの後に、そのカフェへ寄りたいと彼に告げた。 就職して資金をためて、いずれカフェを開きたいと思っている露美は、流行中のものから流行の兆しのあるものまで気になるカフェがあれば、旅先でも足を運びたかったのだ。 

 図書館にあるカフェというのも魅力的だったが、そのカフェのある図書館自体も魅力的だった。以前関西の友人に見せてもらったその図書館のある場所大阪中之島のライフスタイルマガジンの特集記事を見て露美は興味を持ったのだった。

 ――橋を渡る人の「街事情」マガジン―—そう冠された『月刊島民 vol.82』の特集記事「中之島図書館はすごかった。」には、歴史、建築、書庫、本と人というテーマで、大阪市立中之島図書館の「すごさ」について紹介されていた。露美はナカノシマ大学のホームページからその号のPDFをプリントして持参していた。携帯機器で呼び出せばすぐに情報を手にできるが、なぜか紙媒体で持っていたかったのだ。


 旅行の最終日の午後は、別行動にしようとの露美の提案に、彼も同意してくれた。 彼は、古書店を見てまわるからと、ひと足先に大阪へ出て阪急古書のまちへ、雑貨も扱っているというカフェをいくつか見ておきたかった露美は、地下鉄とバスと徒歩を駆使して、京都市内をまわった。

 うまい具合に特急に乗ることができて、京阪淀屋橋駅で降りて地上へ出ると、露美は地図を確認してから、堂島川と土佐堀川にはさまれた中之島へ渡り、川沿いのみおつくしプロムナードを進んでいった。 途中、市役所のある通りへと左に折れると、右手に優美なルネッサンス様式の建築が現れた。  明治時代に開館し、国の重要文化財にも指定されている厳かな知の神殿、大阪府立中之島図書館。  

 待ち合わせの場所だ。 

 「ごめん、待った」 

 正面玄関の階段に腰掛けている彼の元へ、露美は駆け寄った。

 「ギリシア神殿みたい。この柱、すごいね」 

 露美は、正面玄関にすくっと伸びて並んでいる柱を見上げて驚いた。

 「コリント式列柱だって」 

 待ったとも、こっちも今来たとことも言わずに、彼は携帯をいじって情報を呼び出している。 露美は、いったん正面玄関から離れて、道をはさんだ市役所の方へさがると、建物の全体像を写した。

  黄昏時の図書館の窓に灯る明かりは、正しく人の道を照らす知の宝庫の雰囲気を漂わせている。 

 「近代レトロ建築遺産だね。ここでだったら、読書も勉強もはかどりそう」 

 露美は写真を撮りながら、スマートでモダンなつくりのカフェもいいけれど、古い建物をリノベーションしたカフェも、雰囲気があって素敵かもしれないと思った。 

 ひとしきり写真を撮り終えると、二人は、ギリシア神殿を思わせる正面玄関から中へ入り、教会を思わせるドーム状の天蓋が荘厳な中央ホール、そこに据えられた世界の賢人たちの彫像、バロック様式の館内を見学しライブラリーショップをのぞいてからスモーブロー専門店が運営するライブラリーカフェへと向かった。 

 モーニングやランチは混むけれど、夕方からはゆったりできるという事前情報の通り、店内には小人数のグループとが一組入っているだけだった。 グループの話し声は軽やかな小声の関西弁で、店内が静まり返ってないところが、居心地よさそうだった。 


 川面に映る灯が美しい窓際の席に上着と荷物を置くと、二人は、店の奥のサイドボードに置かれたデトックスウォーターのタンクへ向かった。 

 途中、彩り鮮やかで繊細な小ぶりのスモーブローのスターターが並ぶショーケースに目を奪われたが、まずは空気の乾燥でからからののどを潤すのに、フレッシュな野菜やフルーツが漬けこまれているデトックスウォーターが欲しいと露美は思った。

 からだの中からきれいにするというコンセプトが受けたのか、季節のフルーツに野菜、フレッシュな香りのハーブやスパイスなどがブレンドされたビューティードリンクとして、デトックスウォーターは瞬く間に女性に大人気となった。 一方で、ジャーの衛生管理が気になるという声もあがり、定番メニューにするには一般のカフェでは難しそうではあった。 それでも、水の中のカラフルなフルーツや野菜たちは、見ているだけでリラックスできる、 


 心のエナジードリンクだと露美は思う。 レトロな空間に、スマートな知性の感じられる北欧の食の文化。 古いにしえからの積み重ねと、流行を捉える今この時とのコラボレーション。図書館とはどういう場所なのか、改めて考えさせてくれると、露美は感心した。 


 「ピーマン入りの水は、おれはパス」 

 と、唐突に場の空気がさざ波だった。 

 「ピーマンじゃない、パプリカだよ」 

 露美は答えながら、タンクから二人分のデトックスウォーターを注いだ。

「赤いピーマン、黄色いピーマン」 

 とりあえず席についたものの、彼はグラスに口をつけずにぶつぶつ言っている。 

 「試しにひと口飲んでみたら、からだにいいよ」 

 一人暮らしの学生が陥りがちな野菜不足の食生活の乱れを心配してることをにおわせて、露美はすすめてみた。 仕方ないなという素振りで、彼は、グラスを手にして口元にもっていった。

「ピーマンのにおいがする。却下」 

 彼は飲まずにグラスを置いてしまった。

「野菜って、もさもさしてるじゃん、なんか苦手でさ。野菜ジュースも青くさいし、あ、これもね」 

 「じゃあ、スムージーはどうかな。ブレンド次第で、野菜ジュースよりは飲みやすくなるよ」

 「めんどいのはパス。それから、手作りもなんか味が一定しないからパス。肉がいいな、ここ肉あるかな」 

 家政学部で栄養学を専攻している露美は、食へのこだわりがつい出てしまう。それに、両親も弟も味覚の幅が広いので、他人の食べ物の好き嫌いについては驚くことが多かった。ここで言い合っても不毛かもと、露美は、一気にグラスを飲み干して 

 「ちょっとショーケース見てくるね」

 と、グラスを遠ざけ携帯で何やら検索を始めた彼に告げて、メニュー代わりに品物の並ぶショーケースへ歩いていった。


  ショーケースには、スターターと呼ばれる小ぶりのスモーブローが並んでいた。

「最初は、魚、デンマークではニシンから、だったっけ」

 下調べした記憶を辿りながら、露美は一品ずつ視線を移していく。

「黒パンにニシンの酢漬けにはチャイブを散らして、サーモンムースにはディル。ウナギの燻製にはスクランブルエッグを合わせるから、ここにもタマゴと合うハーブチャイブかな。それともビネガーに漬けたチャイブの紫の花びらをアクセントにしようかな」 

 並んでいるスモーブローの味をイメージしながら、将来のカフェコンセプトを北欧風にした場合のメニュー用に、素材の組み合わせの基本を頭に入れる。 

 「やんわりと個性を主張するタラゴンは、クリーミーなソースにも負けないから、タルタルソースに混ぜてチキンに合わせようかな。フィーヌムゼルブのオムレツは、小さなピンクのゆでた小エビの上にのせて、チャービルを飾ろう。ムースやチーズ用にLP盤のような丸くて固いパンのクネッケも用意しないとね」 

 ここのメニューそのままというわけにはいかないので、アレンジを加えてオリジナルメニューを想像する。  味のイメージを展開させるのを、露美は楽しんだ。

「甘いのもメニューに加えたいな。北欧にこだわるなら、ベリーを揃えないと。ラズベリー、ブルーベリー、クランベリー、リンゴンベリーにクラウドベリー。日本では入手しずらいのもあるけれど、ベリー農家さんを当たってみよう。たっぷりのホイップクリームに、森の摘みたてクランベリーの赤を散らしたら、雪に咲いた花畑のようにきれい」 

 次から次へと浮かぶイメージは、露美の心を浮き立たせる。

 「カフェで扱うドリンクは、市販のハーブコーディアルを炭酸水や水で割ってもいいけれど、ここはフレッシュハーブの勢いを取りたい。ディルは北欧料理には欠かせないから、小さくてもいいからハーブガーデンを作ろう。となると、やっぱり、ハーブガーデンが必要になる」 

 露美は、ちょっと考え込む。

「カフェの運営と畑仕事、両立できるだろうか、きびしいかもしれない。人手がいるな。信頼できる人。ああ、そうだ、デトックスウォーターは、どうしよう」


 さっきの彼とのやりとりが、俄かに苦い思いとなってよみがえってきた。

 彼とつき合い出して初めの頃は、好き嫌いの多い彼の味覚を攻略するのが楽しかった。 彼も、最初は面白がっていた。 つきあい初めはお互いに歩み寄ってるから、気にならないのだ、いろいろと。  そういえば、こんなこともあった。 彼はタケノコごはんにのってる山椒の葉を、器用に箸でつまんで、露美によこす。香味野菜が苦手なのかと思いきや、ガーリック風味は大好き。和食の小鉢の菊の花を見て 「食べるものじゃないだろ、花は見るものだろ」 と箸をつけない。花といえば、菜の花のおひたしも残していた。「花とか、食べられないもん使うなよ、なんだよ、このねぎ坊主みたいなの」 「残念でした、チャイブの花は食べられるの。ズッキーニの花だってフリッターにしたら美味しいの」 「フリッター? 天ぷらだろ。岩塩ふったら、まあまあ食べられるな」 カフェ巡りではあやしげな路地裏にまで冒険するのに、食には意外に保守的な彼との、そんなやりとりも楽しかったけれど、いつしかそれがエスカレートして、いつのまにか、露美は、彼の味覚を支配しようとしていたのかもしれない。それでは、敬遠したくもなる。 


 と、思いを巡らす露美の目に飛び込んできたのは、一風変わったネーミングのスモーブロー。 

 ――獣医の夜食―― 

 ビーフハムに、レバーパテ に、コンソメのジュレ。ちょっと猟奇なジョークのようだ。申しわけ程度に飾られた輪切りのレッドオニオンとスプラウトは、肉の存在感を演出している。

 「肉、だね」 

 露美はそうつぶやくと、ショーケースのディスプレイを記憶して、席にもどった。席にもどると、彼のグラスが空になっていた。

「ピーマン、飲めるようになった」

 あっさりとした口ぶりで言うと、彼は、二人分のグラスを持って立ち上がった。

「おかわりは、ピーマンじゃない方でいいよな」

 パプリカだけど……と言いかけて、露美はこらえた。

「あのね、獣医の夜食っていうのがあるんだけど」

「獣医の夜食……それ、食えるの」

「燻製器を買ったから、うちでスモークレバーを作ってパテを作れば、木くずの香りが良い風味になって臭みを消してくれると思う。ビーフハムはあまり市販されていないからパストラミビーフを代用して、コンソメのジュレはビーフコンソメから作ることにして。肉+肉+肉のスモーブロー。どう、食べてみたい?」 

 露美のいつもの一方的な説明に、彼は呆れたような顔で立っている。 

 我に返って、露美は、慌てて両手を口に当てた。


 ――ああ、また、はりきりすぎてしまった。めんどいって思われちゃった―― 


 露美が落ち込みしょげかえりそうになった時だった。

 「じゃあ、肉よろしく。楽しみにしてる」 

 彼は笑うと、両手に持ったグラスをカチンと合わせて、笑ってみせた。それからさっと歩み去っていった。そうだった。こじれかけた時は、いつだって、彼から歩み寄ってくれたのだった。


 ――信頼できる人手は、案外そばにいるのかも―― 


 露美は、まぶたに刻み込んだ彼の笑顔にうなずいた。




参考文献

『北欧 食べる、つくる、かわいいと暮らす』 三田陽子著 辰巳出版 2015年4月1日

『コーヒーとパン好きのための北欧ガイド 改訂版』 森百合子著 スペースシャワーブックス 2016年4月25日

『月刊島民 vol.82』 江弘毅(編集集団140B)・月刊島民プレス編 月刊島民プレス 2015年5月1日






「先輩、凪田(なぎた)先輩」 

 かけられた声に振り向くと、大学時代の文芸サークルの後輩貝原沙羅(かいばらさら)が、ミュージアムショップの袋と、丸めたポスターを抱えて立っていた。 

 世田谷文学館のゆったりとしたエントランスホールで、所在なげにうろついていた私を、彼女の声はなつかしさで捉えた。

 「お久しぶりです。夏原ノエ先生の講演会の時は、ご来場いただいてありがとうございました。お礼もそこそこになってしまっていて、申しわけございませんでした」 

 親しみのこめられた礼儀正しさ。 

 私はどう答えたらよいのか迷い、それから、

 「行きたくて行ったんだから、そんな風に言ってもらわなくても」 

 と、無難に受け答えた。 

 「なら、よかったです」 

 貝原沙羅は、にこっとすると話しだした。 

 「これ、今回の展覧会のポスター、もらっちゃいました。図書館で掲示しようと思って。受付の人に話したら、そういう目的でしたらどうぞって。もともと図録を買った人に差し上げてたんだそうです。当初の配布分が終了したんで、そういった掲示がされてなくて。前にもそういうことがあったんで、きいてみたんです。あ、でも、ちゃんと図録も買ったんですよ」 

 貝原沙羅は、ミュージアムショップの袋を掲げてみせた。 

「先輩は、今来たとこですか」

「ん、ちょっと気分転換」

「締切、たいへんですか」

「まあ、そんなとこ」 

「プレコンテストの作品集、読みましたよ。ぺリメニの話、美味しそうでしたね」

「え、そこ」

「はい、そこ、です」

 私は、拍子抜けして、彼女を見つめる。

「そういえば、『放浪記』の林芙美子も、ぺリメニ多分食べますよね。彼女、勢いと情熱の人だったから、シベリア鉄道に乗って道ならぬ恋を追いかけてパリまで行ったんですよね。旅行記があるんですよ、先輩読みました? 昭和のはじめ頃に、たった一人で、ほとんどお金も持たないで、列車に飛び乗って恋しい人のところに向かったなんて。しかも若気の至りって年頃じゃなかったんですよね。すごいな。希望の灯が、ほのかにでも見えたからって、ひょいっと現実生活から恋愛夢想世界に飛び移ってしまったんですもんね」

 のんびりとした口調で、彼女は、間断なくしゃべり続けている。

 学生時代に較べると、ずいぶん語彙が増えたように思う。

 語彙が増えたというか、身について使いこなせるようになったのだなと訂正する。

 文学部で文芸サークルだというのに、入りたての学生たちは、使いこなせる言葉が決まりきっていた。

 受験勉強で身につけた言葉は、小論文用の書く言葉で、自分の言葉ですらなかった。

それに気がついたら、大学四年間でその言葉のくせを、いったん書く言葉の貯蔵庫にしまっておいて、語る用、創作用の言葉を修得していく。

 それが、彼女は、うまくいったのかもしれない。

 かくいう私も、読書と趣味の創作で培った頭でっかちな言葉つかいだったけれど。 


「林芙美子が、ぺリメニを食べたなんてこと書いてあったかな」

「はっきりとは書いてありませんけど、『下駄で歩いた巴里』の西比利亜の旅のくだりに、それらしきこと書いてありましたよ」 

「岩波文庫だったかな、確か」 

 私は、読書記憶のページをくって、そのくだりを見つけ出す。

「西比利亜の寒さは何か情熱的ではあります。」と記し、シベリア鉄道を一人行く作家は、持参した食料に飽きると(長旅なので自分で調達した食料を持ち込んでの列車の旅)、食堂車で食べたり、売りにきたものを買い食いします。

 その中に、たびたび登場する「ウドン粉」料理。 

「まず、運ばれた皿の上を見ますと、初めがスープ、それからオムレツ(肉なし)、ウドン粉料理(すいとんの一種)、プリン……」

 すいとんの一種という言葉からイメージできるのは、シベリア風ゆでだんごとロシア料理の本で紹介されていたぺリメニ。どちらかといえば、すいとんというより、水餃子のイメージが形としては近い。 

「二箇一ルーブルで買って、肉の刻んだのでもはいっているだろうと、熱い奴にかじりつくと、これはまたウドン粉の天麩羅でありました。」

 これは、ラム肉でも入っていれば中央アジアの郷土料理チェブレキだろうけれど。もしくは、具無しピロシキ? そういえば、揚げぺリメニというのもラトビアだったかにあるらしい。

「スープ(大根のようなのに人参を少し)、それにうどん粉の酢っぱいのや、(すいとんに酢をかけたようなもの)、蕎麦の実に鶏の骨少し、そんなものでした。」

 今度のはひらながでうどん粉、そして、酸っぱいとあるのは、中身が塩揉みの乳酸発酵で作るロシア風ザワークラウトのカプースタだからか、それとも、すかんぽ入りの酸味のあるスープでゆでられたからだろうか。

 気になるけれど、それ以上の情報は読み取れない。

 だいたい、小麦粉でなくてうどん粉というのが、昭和初期を思わせて、実際には知らない時代なのに、なつかしさを覚える。実際は、うどん粉は、薄力粉、中力粉、強力粉と分類される小麦粉の中では、中力粉に当たる。グルテンの含有量で分類されるのだが、うどんのこしとぷるんとした弾力がほどよく生まれるのが中力粉なのだ。水餃子を思わせるぺリメニには、確かに、中力粉のうどん粉がふさわしい。

「凪田先輩、今の暗誦、泊先輩みたいでしたね」

 私は、どきりとする。

 無意識のうちに記憶していた文章を口にしていたのだ。

 それも、泊愛久(とまりめぐ)がしているように、没入して。 

「しゃべりながらだと、思い出しやすいから」

 私は、これが記憶探索の自分のスタイルだと言いわけがましく言うと、入場チケットを持ったままの手で、前髪をかきあげた。 

「あ、すみません、もしかして、凪田先輩、これから見るんですか」 

「そう。でも、先にお茶してからって思ってた」 

 執筆の合間の気晴らしに一人でお茶するのがパターンだったが、たまには誰かと話すのもいいかもしれない。

「じゃ、ミュージアムカフェ行きましょ」

 貝原沙羅に言われるまま、エントランスホールを抜けて光の射し込むパティオの向こうにあるミュージアムカフェへ。


 パティオの見える席に座って、ゴジラのいるカフェで二人揃ってケーキセットをたのんだ。

「あれって、着ぐるみだったよね」 

「はい、東宝の砧スタジオゆかりみたいですよ」

「ここは文学館だけど、展示物を見ると、美術館や博物館っぽいとこあるのが、いいな」 

「そうですよね。うちの図書館でも、本だけじゃなくて、テーマコーナーを作る時は、作家の愛用品や、関連文学マップを作って、展示してますよ」

 「うちの」図書館か。 

 職場に愛着があるのだなと思う。

「さすがにグッズの販売はしてないんでしょ」

「そうですね、マップは無料配布です」

 おしゃべりをしているうちに、注文の品が運ばれてきた。紅茶とチーズケーキ。彼女とのおしゃべりには、コーヒーより紅茶が合う。ティーカップにやわらかな陽射し。やわらかなチーズケーキは、さっぱりとおいしい。

「今、図書館の本を使って外国の料理を作ろうっていうイベントを計画してるんです」

「それ、面白そう」

「夏休みに絵本でおやつ、っていうのをやったら大好評で。未就学児向け企画で保護者と子どもでって募集したんですけど、両親だけでなく、おじーちゃん、おばーちゃんも一緒に参加したいって声が多くて」

「私も保護者枠で参加したかったな」

「え、先輩、まさかお子さん」

「違う違うって、保護者枠って言ってるでしょ、親子枠じゃなくって」

「そうですよね、あー、びっくりした」 

 彼女はカールさせた睫毛をしばたたかせた。

「食べる企画って、皆さん、興味持ってくださるんですよね」

「そりゃあ、グルメの話題は、老若男女共通の興味のまとだもの。で、今度も子ども向け企画? 」「いえ、今度は、大人向け、というか、文豪料理って、今、カフェやイベントであるじゃないですか。その路線で、近代文学作品からって考えてます。凪田先輩の小説を読んで、これだ、って確信したんです」

 自分の小説を読んで発想してくれたんだと思うと、照れくさかった。

「図書館で料理できるの」

「はい、今のとこは、複合施設に入ってるんですよ。地域住民が交流したり、講座を開いたり、カルチャースクールとまではいかなんですが講習会をしたり、映画上映会のできる設備もあるんですよ」 

 熱心な口調の彼女は、学生時代の冗長なしゃべり方ではなくなっている。

 仕事に誇りをもっているのかな、と思い、微笑ましくなる。

 貝原沙羅の勤めている図書館は、複合施設の二階にある。

 二階フロアの全てが図書館で、地下に駐車場と駐輪場、一階は商業スペース、三階に会議室や多目的ルーム、四階にソファとテーブルなどの置かれた共有スペースと、カフェテリア、そして、ガーデンテラスがあり、五階以上が住居スペースになってるのだという。

 カフェテリアには軽食があり、ランチプレートがおすすめだそうだ。ランチプレートは日替わりで、一階に入っているパン屋の焼きたてパンか米屋の塩むすびが選べるのだそうだ。

「ランチプレート、おいしそう、今度食べに行こうかな」

「ぜひ、ランチデートしましょう」

 彼女は屈託なく笑う。

 私は、カフェテリアの画面から、フロアガイドにもどると、同じ階に書店があるのを見つけた。「一階に本屋さんが入ってるんだ」

「大きな図書館と同じ建物内だと、書店の売り上げが減ったりするのではと思われがちなんですけど、うちに関しては、そうでもないみたいなんです」

「そうなの」

「はい、店長さんとは個人的に顔見知りで、というか、場所が便利なんで仕事帰りにほぼ毎日寄ってて、雑誌や文庫本をよく買ってるんです」

「そっか。通勤経路に本屋さんがあると便利だよね」

「はい」 

 彼女はにっこりすると、話を続けた。

 図書館が入ってから、むしろ売り上げは増えたのだそうだ。

 もともと駅に近いということもあり、通勤客、通学客など地元民の利用者がメインだったが、設備の整った図書館ができたということで、施設そのものへの地区外からの利用者が増えた。

 そして、休日のショッピングや外食のついでに図書館に寄って、貸出期限のきた本を返すついでに、同じ本を書店に立ち寄って購入したり、図書館にはあまり置かれていない雑誌やコミック類、ライトノベル類を購入していったりするのだそうだ。

「とにかく、人の出入りがないことには、あらゆる販売業はなりたたないですよね」

「確かに。人に出入りしてもらって、興味をもってもらって、手にとってもらって」

「そうなんです。隙間産業とか、ニッチとか、個性を売りものにするのも大事ですけど、それを買ってくれる人がいないと、だめなんですよね。趣味ならともかく」

「かといって、自分の個性や技術を安売りするのは、結局その業界全体を安売りすることにつながるから、うーん、一概には言えないと思う」

「わあ、ほんと、そうなんです。今さらって感じですけど、自分がその立場にたってみると、実感します」

「え、図書館は販売業じゃないのに、実感って? 」

「ああ、え、と、イベントの集客のことです。販売ではなくって、営業、ですね。うまく説明できなくて、すみません。なんとなくつながってる感じがして」

 彼女は、ふうっ、とため息をつくと、チーズケーキを大きく一切れカットすると、頬張った。

 今、彼女の口の中は、さわやかで甘いレアチーズケーキでいっぱいだ。

 甘くておいしいもので、口の中がいっぱい。

 小さな癒しのひと時。

「適正価格、だいじかも。その人の技術や、技能に敬意を払う気持ちがあれば、滅茶苦茶な給与体系や、使い捨てみたいな働き方をさせたりしないはずだもの」

「そうなんですけど、その適正っていうのが、判断する人によって違ってくると、問題が起るんですよね」

「確かにね。理想と現実の乖離がはなはだしいのが、図書館業界ってこと」

「残念ながら」

 貝原沙羅は、ため息をついた。

「私は、公務員として勤務してて、そこからの出向なので、安定はしてるんです。こんなこと、現場では申しわけなくて言えないんですけど、就職活動の時は図書館にはエントリーしなかったんです。司書の資格はとってたんです。でも、募集してる所がほとんどなくて。それで、役所勤務をしながら、ボランティアで本のことに関われたらくらいに思ってて。そうしたら運よく図書館部署に配属されて、司書の資格を持ってたんで、かなりしっかり関わらせてもらえることになって」

「そうだったんだ」

「はい、そうだったんです」

「図書館の司書の正規雇用って、ほんとに少ないよね」

「もう、どこを見ても、数えるほどなんですよぉ」

 胸に溜めていたことを話して解放できたからか、貝原沙羅の口調が以前に戻った。

 学生時代は、むずがゆいようなじれったいような気がしていたが、くつろいだ気分が伝わってきて、今はそれも悪くなかった。

「同じ職場で同じ職種で同じように働いているのに、受け取れるものが違うのって、何かにつけて気をつかうよね、お互いに」

「そう、そうなんです、お互いに、なんです」

 彼女は、肩をすくめて、グラスに注がれたレモン風味の水を口に含んだ。

「それでですね、先輩、きいてください」 

 それから彼女は、堰を切ったように話し出した。 


 図書館の運営方法や司書の勤務形態が問題になっているのは、webニュース等で目にして知っていた。 同じ所で働くのに業務形態が違うというのでは、それはスムーズにはいかないだろう。 よほど有能な采配をふるえる上司がいない限り。

 もちろん、公立図書館で雇用条件がきっちりしていて、市区町村の直接雇用であれば、正規、常勤、非常勤、パートタイム、アルバイト、多様な働き方はむしろ働く側からも望まれる場合もあるだろう。けれど、そこに指定管理会社や業務委託会社などが入ると、身動きがとれなくなりがちなのだ。

 システムとして整備され調えられていればいいのかもしれないが、それでも、何かをするのに直接雇用先にではなく会社にきいて会社から雇用先にいってもどってを繰り返すというのは、とうてい合理的とは言いがたい。時間の無駄だ。さらに、現場責任者の権限が請負会社によってまちまちだと、それも混乱を招く。

 現場の細かなそうした問題の積み重なりが、ストレスを呼ぶ。 単純なことを複雑にすることで、やる気を削ぐようにしているようにしか思えない。そうするのは、責任の所在の曖昧さのためだというのが透けてみえるのも腹立たしい。

「あ、すみません、こんな話、愚痴ですね、先輩、息抜きに来たのに」

「そんなことない。こんなにたくさん話したのって、初めてだよね」

 むしろ、うれしかった。後輩の意外な面をみたような気がして。ふわふわと、楽しいことだけを摘まんでやっているのかと思っていたら、そうでもなく、思いの外熱心に取り組んでいるのがわかって。   


 ティータイムを終えて、貝原沙羅と別れた後、館内を一回りしてから帰路についた。

 リアルの人間と話すと、なぜだかすっきりする。

 今日のように相手の話をきくというのは、思いのほか視野が開ける。

 おしゃべりは、自然に酸素をからだの中に取り入れることだ。

 話の内容で気持ちは落ちたり上がったりどんよりしたりそれぞれだが、口を動かして言葉を発するということは、酸素を吸って二酸化炭素を吐くことなので、空気の循環が脳で起きるから、すっきりするのかな、と思ったり。

 酸素が脳を巡って、濁った思考回路を洗ってくれるのかもしれない。

 それで、頭がすっきりする。

 人間の機能がそんなに単純なものではないことはわかっている。 

 それでも、そんな風に思ってしまう。

 もしくは、口から出た言葉が空気中に散らばって、頭の中でいっぱいになって溢れかえりそうになっていた文字情報が、整理されるからなのかもしれない。 

 なんだか怪しげな科学現象のような気もする。

 それでもすっきりした気分になるのだから、馬鹿高い料金がかかるわけでもないので、許容範囲のプラセボかな、と、微苦笑する。 

 ただし、あまりに不快な内容の話だと、気持ちの重さに負けてしまって、すっきり感が全て台無しになることもある。 

 執筆は孤独な作業だ。とくに、確約のないそれは。確約のない作業に根を詰め過ぎると、精神こころが蝕まれていく。 兼業作家でいると、自分の生活は保証される。 けれど、その保証が、自分の甘さにもつながっている。 わかっているのに、踏ん切りがつかない途上の自分に歯噛みする日々。そんな日々の連続では疲弊する。

「あなたの担当ではないから、あまり期待してもらうわけにはいかないけど、学友としてだったら話はきくから、何でも言ってよ、そう、ゼミの時みたいに」 

 ゼミ友で今は編集者の井間辺和子いまべわこの言葉がよぎる。

 表だっては牽制しているようでいて、実際はその時の最善のフォローの言葉をかけてくれる。

 その時の私は、まだ、意を決する途上だったこともあり、具体的な言葉を欲していた。

 それが、どんなにか世間知らずでわがままなことだったのか……  今なら、それがわかる。

 井間辺和子の真っ当な気遣いと友情。 

 本当に、素直に感謝できる。 

 「たまには、手料理でも差し入れしようかな」

 いつも忙しそうにしている彼女に、ささやかなお礼の気持ちを表明したくなった。

 つい外食や中食が多くなって、胃も舌も悲鳴をあげていると言っていた。

 自宅住まいで冷蔵庫の食材というベースが、私には揃っている。

 そうだ、貝原沙羅が言っていたシベリアのウドン粉料理を作ってみよう。

 それから、井間辺和子に連絡して、休日にケータリングでご馳走すると言おう。そして、突拍子のなさに呆れられてもらおう。 それから、彼女に、少し笑って「わかった、で、何時頃?」と、訊き返してもらおう。

 空はいつしか、茜色の夕闇から群青の宵闇に。

 時はうつろう。

 立ち止まろうが、足掻こうが。

 紅茶と木イチゴのジャムとぺリメニのケータリング。

 休日は、画面と向き合うのをやめて、友と言葉を交わし食事をする。

 その時間は、ただのうつろいでは、きっと、ないのだ。 



 了



<本作の主な登場人物>

凪田 真帆子(なぎた まほこ) 「私」。旧友との再会をきっかけに小説家志望の夢が再燃。

貝原 沙羅(かいばら さら)  「私」の大学時代のサークルの後輩。現在公立図書館に出向中。


<本編はコチラ ↓ からご覧いただけます>

サルビアとガーデニア 小説家志望の彼女と私』(第5回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作品)